4日目の朝、快晴です。朝食(バイキング)の後、ホテルの外に出てみました。エメラルドグリーンの海と白い砂浜、まるで南国の海と錯覚しそうな景色です。
全室オーシャンビューの西長門リゾート9時にホテルをチェックアウト。余りの天気の良さにつられ、昨日の夜に訪問した角島灯台を再訪問してみることにました。灯台付近は公園になっており、灯台を説明した案内板には、そもそもこの灯台は、古来北前船の海上交通の要であったことから明治政府がイギリス人技師に設計を依頼と...。灯台内部の螺旋階段で展望台に上りました。展望台からの眺望(北前船がこの前の海を航行していたのでしょう)その後、灯台のそばにあるレンガ造りの小さな洋館に、初代の灯台守(建設に携わったイギリス人)の住まいだったようですが、現在は角島灯台記念館として、灯台に関する詳しい内容が紹介されていて大変興味深いものでした。10時に角島灯台をスタートし、元乃隅稲成神社へ。距離的には35kmと遠くはないのですが、県道66号線は途中から道路が狭くなり対面交通に苦労させられ、約1時間のドライブで11時10分神社前に到着。駐車場に車を留め鳥居をくぐるところです。大鳥居をくぐると稲成神社之由来を示す案内番が、一般の稲荷神社と異なると説明あり。なぜ違うのか良くわからいないまま下を見ると鳥居のトンネルが海の方まで連なっています。尚、鳥居の数は昭和62年から10年かけて奉納された縁起の良い123本(ひふみ)で終了。稲成の成は成就に由来し、様々な願いが叶うとか...さらに社務所の壁に「竜宮の潮吹き」の写真があり、 取りあえず、鳥居のトンネル入り口から海の方にある大鳥居へ降りていきました。トンネルを出て、右手にある潮吹きビューポイントに向かいましたが、風と波が穏やかなため、残念ながら潮吹きは見られませんでした。尚、竜宮とはこの地域の海蝕地形の総称のことをいうと、下のビューポイント掲示板に説明されています。海側から眺めた神社の景色、外人の観光客には超人気の観光スポットだそうです。今度は反対に鳥居のトンネルの階段を上っていきます。上りあがったところが本殿前です。本殿にお参りしましたが、不思議なことに本殿前には賽銭箱がありません。賽銭箱はなんと最初にくぐり抜けて入った裏参道大鳥居(5m高さ)出口側の上にありました。我々も賽銭箱への投げ入れに挑戦し、3回目で成功。本当に願い事が叶うことを期待しています。気分を良くして、次の目的地仙崎港に向かい、仙崎港から13時30分発、下図の青海島遊覧船一周コース(1時間20分)のチェットを購入し、小型の遊覧船「めるへん」で、日本海の荒波が造り上げた造形美(奇石、洞門、絶壁等)の見学に出発です。 15時前仙崎港に帰り着きましたが、小型遊覧船のエンジン音がとにかくやかましく、船内の案内が殆ど聞き取れない状況で、さらに外海に出ると波が高く、洞門くぐりが一切不可となり、港に着くまで不満が募る80分間となりました。仙崎港からわずか15分のドライブで、今日のお宿、④地点の長門湯本温泉、大谷山荘に到着。こじんまりとした山荘のイメージとは違い、5階と8階の棟が連なる大型観光ホテル。大谷山荘建屋下風呂温泉(東北)ブログ
前回の5月下旬に、本州(橋つながり)最西端の角島を訪問しましたが、今回は避暑を兼ね、本州最北端の下北半島大間崎まで足を延ばし、標高の高い八甲田山周辺の温泉(八甲田登山を含め)を巡る旅を8月22~26日の4泊5日で計画しました。 ただ、大阪から青森や、三沢空港往復の飛行機便の予約が取れず、大阪-花巻空港往復便で対応することになり、今回訪問の温泉地は花巻空港からレンタカーで下図の青いルートに沿って、①下風呂温泉、②浅虫温泉、③荒川温泉及び④蔦温泉を巡りました。尚、赤字の箇所は立ち寄りスポットです。
初日は早朝7時05分大阪伊丹発、いわて花巻空港行の便に、エンブラエル170(76人乗りのブラジル製双発ジェット機)23番ゲートにはボーディング・ブリッジがなく、バスで飛行機の駐機場へ移動して搭乗。 伊丹空港の出発が遅れ、いわて花巻空港には10分遅れの8時40分に到着。急いで予約済みのレンタカーの手続きを終え駐車場に、今回5日間お世話になる車はマツダ・アクセラです。 尚、今日の予定は、日本三大霊山(比叡山・高野山・恐山)の1つ恐山菩提寺を訪問後、①地点の下風呂温泉、ホテル三浦屋に宿泊です。初めて乗車する車の為、ナビ操作等に手間取り、結局9時に花巻空港を出発、その後東北自動車道、八戸自動車道を経て、はまなすラインから国道4号線で約290kmを5時間のドライブとなり、14時前恐山菩提寺に到着。下図は、入山受付所でもらった恐山菩提寺参拝の順路図です。台風9号の影響でしょうか、少し前から降り続く土砂降りの雨の為、赤いサークル内の総門でガイドと参拝スタートの待機中、恐山ガイドの加藤さんから、冒頭「恐山には恐山という山はなく、あくまで恐山菩提寺というお寺の名前であり、恐山という名前の由来は、アイヌ語のウッシュロ(窪地)が訛りウソリ、さらにオソレと訛り、それに恐い山=恐山と当て字をしただけ」と説明を受け、霊山の恐ろしさの不安や緊張から解放された感じがします。さらに、恐山菩提寺の説明が続き、約1200年前、天台宗の高僧、慈覚大師円仁がこの地を訪れ、真ん中にお地蔵さんを祀って創建したと伝えられている※ が、その後、争乱の兵火によって焼失。約100年ほど廃寺の後、1530年曹洞宗の僧聚覚が南部家の援助を受け円通寺を建立して恐山菩提寺を中興し、曹洞宗に改められた経緯があるようです。(※慈覚大師が唐で学んでいたころ、夢で「国に帰り、東方行程三十余日のところに霊山あり。温泉が湧出していて、これを浴びるものは諸病悉く治癒する。猛火は焔々として地獄の相を現じている。そこに地蔵一体を彫作して、一寺を建てよ」とのお告げがあったとの由)雨が止まないので登山用レインウェアーに着替え、傘をさして参拝路を進んでいきます。正面山門の左手に本堂が見えます。昭和初期、恐山は再び大火にあい、伽藍の多くを焼失し、そのとき町にあった武道場を仮本堂として移築されたそうです。本堂内では現在、一日3回の塔婆供養が行われています。又本堂の中には不思議なことに花嫁姿の人形がぎっしり詰まっていました。未婚のまま早逝した息子のために、花嫁人形が納められたものと説明あり、但し、堂内は撮影禁止となっていました。本堂の横には恐山と書かれた山門があります。(画像をクリックして拡大すると雨のすごさがご覧いただけます)雨の中を山門から本尊安置地蔵堂に、四十八の灯篭が並ぶ参道を歩いていきます。左右には恐山温泉の湯小屋が、そして右手奥には宿坊の屋根が見えています。本尊前から振り返って見た山門と境内ですが、死者の霊が集うところとして、イタコの口寄せで知られる場所なのでしょう。但し、イタコは常時滞在しているのではなく、口寄せは夏と秋の祭り時期のみだそうです。本尊でお参りを済ませ(願い事をして良いようです)、本尊横の地獄への道に、階段を上り上がったところが納骨堂です。納骨堂から無間地獄を過ぎて大師堂へ、大師堂には慈覚大師の舎利が収まっていると言われています。ここに石積みと風車がいっぱいあることから「賽の河原信仰」の話を聞くことに、むだな努力のたとえとして言われている「賽の河原」、7歳以下で死んだ子供は親より早く死ぬため、親不孝として地獄に落とされる。この世に生まれてなんの功徳も積まないまま死んだため、賽の河原で石積をして功徳を積むという可哀想なお話し。自分の背丈だけ積み終えれば成仏して生まれ変わるそうですが、完成間近になるといつも鬼が出てきて全部壊すため、いつまで経っても塔は完成しません。(そんな時、鬼から子供たちを庇ってくださるのがお地蔵様というお話し) これを知ってる親が死んだ子供の為に石を積み、風車は死んだ子供のあの世での遊び道具として供えられています。 賽の河原の石積の様子、我々もここで少しでも上にという思いで、石を一つ積んできました。賽の河原の奥の森、恐山大祭や秋詣りの時は、山が真っ白に大変身するようです。あの世から降りて来た霊があの世へ戻る時に、道中が長い為、汗と涙をぬぐったりする手ぬぐいと、途中で履き替え用の草鞋が木の枝にかけられ、又賽の河原には風車でいっぱいになるようです。(現在は、清掃業者が全て持ち帰った後の状況です)続いて、賽の河原地蔵堂(八角円堂)へ、ガイドの加藤さんが扉を開けて待っています。死者が降りてくる場所といわれ、堂内には死者がいつ来てもよいように、家族を失った遺族の方が納めた一揃えの服、履物、かばん、ランドセル、花嫁人形、写真などが納められており、少し不気味な感じを覚えす。八角円堂を出てしばらく進むと目の前に、天国が...宇曽利湖畔の極楽浜にやって来ました。天気は悪いですが、さすがに神秘的な光景~!!!湖畔の砂はガラスの原料にもなる珪砂で、天気が良ければもっと真っ白に見えるようです。湖の周囲は10km、湖水はPh3.1の強酸性の水の為、生き物はほとんど住めないようですが、ウグイという魚のみ生息しているようです。湖畔から少し行くと、異様な形をした草のある場所に出くわしました。これは賽の河原で子供を追いかける鬼に足かけて転ばすため、死んだ子供の親が草を結んだ後と説明あり。その後、数種の地獄を通り抜け入口の総門前へ戻ってきました。所要時間1時間15分、3.5kmを歩いてきたことを知らされましたが、この雨の為か?境内には誰の姿も見えません。山門前の記念写真撮影台も開店休業状態です。最後に、ガイドさんより六道輪廻の話があり、56億7千万年後に出生する弥勒菩薩まで人間はこの世界から抜け出すことが出来ないことを聞き、六道の衆生を救済する六地蔵にお参りして恐山を後にしました。恐山から今日浅虫温泉(東北)ブログ
2日目の朝、目を覚ますと天気は晴れ、台風9号は昨晩青森県を通過し北海道へ抜けたようで、台風一過の快晴です。9時にホテルをチェックアウトし、本州最北端の大間崎に向かいました。
津軽海峡を挟んで北海道がクッキリと見えています。写真右端は恵山でしょう。次の目的地「仏ヶ浦」訪問の為、佐井港へ向け出発。約30分で佐井港に到着。幸いなことに10時30分発、仏ケ浦往復の高速観光船「ニューしもきた号」に空席があり乗船することが出来ました。(いつも団体観光客予約の為満員となるようです)
11時、仏ケ浦港着岸前の光景です。
仏ケ浦上陸後、ガイドによる岩の名前の紹介と道案内があり(屏風岩から一番奥の蓬莱山まで)、約2000万年前、海底火山の噴出物、白緑色の凝灰岩が隆起し、長年にわたる風雨による浸食によって、これらの神秘的な姿が誕生したと説明あり。
12時丁度佐井港に戻り、元来た道を大間崎へ引き返し、海峡荘にて昼食に予定していました待望の大間のマグロ丼に。
見かけは素朴ですが本当に美味しかったです。何というか...?、一般のマグロ臭さがなく、以外にあっさりした味で、お替り下さいと言いたくなるほどでした。大間崎から離れ15km程の地点でしょうか、北海道「恵山」の山肌までがクッキリと見える国道279号線上で、思わず望遠ズームでシャッターを切りました。今日のお宿、浅虫温泉椿館到着まで時間の余裕があったので、奥薬研温泉に立ち寄ってみることに。正式名称は、「奥薬研温泉・夫婦かっぱの湯」で、大畑川沿いにある、男女別の町営の温泉露天風呂。わざわざ山奥まで寄り道しましたが、残念ながらここは源泉掛け流しではなく循環式の温泉で、源泉の温度は63.5℃、低調性弱アルカリ性高温泉と説明があり、温泉は無色透明でかなり熱めのお湯でした。(立ち寄り湯は、恐山菩提寺の温泉の方が良かったかもです?、又恐山宿坊「吉祥閣」内には大浴場の温泉があることを知らされました。)14時を過ぎたので浅虫温泉へ急ぎ、椿館には16時30分に到着。木造二階建ての、かなり由緒のある老舗旅館の感じです。
旅館玄関 ロビー 廊下部屋へ向かう途中、明治天皇が東北巡礼の際、ここに泊まられたことを示す写真や、展示品を初め、ロビーから廊下に棟方志功の作品がいたるところに展示されています。案内係から、ここは版画家・棟方志功ゆかりの宿との説明を受け、2階、中庭の椿が良く見える廊下奥の10畳和室(213号室、八千代椿)に案内されました。早速浴衣に着替え1階の風呂場へ、館内配置図内風呂(上)、露天風呂(下)昔は椿の木の根元から温泉が湧いているので椿の湯と云われていたようで、9本の泉源が混合され現在も源泉掛け流しと飲用に利用されおり、源泉温度は74.5℃、Ph8.0の弱アルカリ性、源泉温度が高い為地下水を通年加水していると説明あり。内湯は適温でしたが、露天風呂は少し低めの為時間をかけてゆっくりと入浴。ただ、昨日と同様、露天風呂?には屋根と囲いがあり眺望は全く望めないところです。 食事の方ですが、夕食は1階個室の食事処で、食事内容は旅館にお任せシンプルステイでしたがすごいボリューム。メインの牛肉のすき焼きもまずまずの味でしたが、刺身盛り合わせのアワビが大変美味しかったです。最後に「うな重」が出てきたことには驚きです。もっとも全部は食べきれなかったことをここでお伝えしておきます。((1日目、下風呂温泉| 3日目、荒川温泉))荒川温泉(東北)ブログ
3日目の朝、天気は晴れ、今日は八甲田山登山トレッキングに挑戦の為、8時15分に椿館をチェックアウトし、八甲田ロープウェー山麓駅に急ぎました。
山麓駅で登山ガイドの大平さんと出会い、9時20分発の山頂行きに乗り込み、
約2,500mの距離を10分で山頂公園駅に到着。駅を出たところの山頂公園案内図に赤倉岳・井戸岳・大岳が描かれています。
我々のトレッキングは、下図の北八甲田登山道案内図の現在地で示された山頂公園駅から、田茂萢湿原→赤倉岳→井戸岳→大岳→上毛無岱→下毛無岱→酸ケ湯まで赤い破線のコースの説明を受けました。尚、北八甲田山系には、前嶽(1,251m)・田茂萢岳 (1,324m) ・赤倉岳 (1,548m) ・井戸岳 (1,550m) ・大岳 (1,584m) ・小岳 (1,478m) ・高田大岳(1,552m) ・雛岳 (1,240m) ・硫黄岳 (1,360m) ・石倉岳(1,202m)を合わせて10峰の名前が示されています。 トレッキングコースイラスト図9時40分登山道の入り口、田茂萢岳遊歩道からスタートです。写真の左から赤倉岳、井戸岳及び大岳がくっきりと見えています。赤倉岳中腹位までは、トドマツの林の中を歩いていきます。トドマツの枝に小鳥が留まっているように見えますが、実は松ぽっくりでこの周辺に生息している野鳥「ホシガラス」の餌となっているとのこと。10時、田茂萢湿原を通過、その後、少し上りが急となってきます。斜面のトドマツの全てが冬には樹氷と化すようです。
赤倉岳の中腹まで登ってきたところでしょうか、下に見える平らなところが八甲田雪中行軍遭難事件(冬季雪中行軍の訓練中に遭難した事件で、訓練への参加者210名中199名が死亡)の場所と知らされました。赤倉岳山頂まであと20分の所です、この断崖が火山爆発の跡と説明されています。この場所から太平洋、陸奥湾、さらに日本海までが見えるらしいですが、残念ながら低く垂れ込めた雲に遮られて見通しがききません。11時50分赤倉岳山頂に到達(山頂公園駅から2時間10分経過)。眼前には大岳山頂への登山道も見えています。高田大岳、子岳を左手に見て進んでいきます。わずか10分程で井戸岳山頂にやってきました。火山の噴火口が水溜りとして底に見られます。もっと水が溜まればカルデラ湖になるのでしょう。ここでガイドから、八甲田山は一つの山のことではなく、八甲田連峰という火山群の総称のことで、八甲田の由来は、八の(たくさんの)甲(たて)状の峰と山上に多くの田代(湿原)がある為と説明あり。カルデラ周辺の山道をさらに進み、左手前方には高田大岳、右手には小岳がさらに近くに見えてきます。山道はここから下りとなって、大岳避難小屋(大岳ヒュッテ)へと続いて行きます。12時50分大岳避難小屋へ到着(山頂公園駅から3時間10分経過)。トイレもあり、小屋の前のベンチで遅めの昼食を取り、13時大岳山頂に向け出発。13時25分八甲田山最高峰の大岳山頂に到達(山頂公園駅から3時間45分経過)。 頂上には、360度全方位の案内盤があり、岩木山や岩手山の方向も示されていましたが残念ながら雲に覆われて展望は効きませんでした。大岳山頂から仙人岱(経由で酸ヶ湯)方面への下りの山道入口ですが、雲の間から正面に硫黄岳が見えていました。晴れていれば、さらに南の石倉岳も見えるようです。5分程の滞在後上ってきた道を戻り、再び大岳避難小屋を経由して上毛無岱へ、1時間半ほど歩いたでしょうか、北八甲田連峰ビューポイントの場所に。振り返ってみる景色ですが、左の赤倉岳から右の大岳まで良く歩いたものだと自分ながら感心します。 北八甲田連峰ビューポイント15時15分、ビューポイントから15分で上毛無岱と下毛無岱とを結ぶ280段の木製階段前に、下毛無岱には木道が続いているのが見えます。ここから酸ケ湯まで殆ど木道下りの約1時間、登山の上りはスイスイ下りではガクガクと云われていますが、まさに下りは疲れた足に堪えました。足の筋肉が悲鳴を上げる寸前、16時20分ガイド゙さんにも励まされ何とか酸ケ湯に到着(山頂公園駅から6時間40分経過)。酸ヶ湯からはガイド゙さんの車で、八甲田ロープウェー山麓駅まで戻り、駐車済みのレンタカーで今日のお宿、荒川温泉、八甲田ホテルへ。ホテル玄関フロント&ロビー周辺案内された部屋は、C棟2階のツインベッドルーム(322号室)、高級感のある落ち着いた部屋の窓からは白樺林が眺められます。鉛温泉Ⅱ(東北)ブログ
東八幡平温泉(東北)ブログ
鉛温泉 別邸 十三月を11時にチェックアウト、今日は生憎の雨、②泊目の東八幡平温泉 八幡平ハイツへ、15時丁度に八幡平ハイツに到着。
入口を入ると、右手のフロントから奥のラウンジへと繋がっています。 ラウンジでチェックイン手続きを終え、別館 姫神へ、赤い破線の道順で、案内係の後について長い廊下を歩いていきます。やっとのことで、別館「姫神」入口に、別館に入ると、廊下の雰囲気がガラット変わります。
突き当りの部屋は、昭和天皇もご宿泊なされた歴史あるお部屋で、101 特別室「天皇の間」と表示されています。
予約済みの部屋は手前の103「黒倉の間」。 扉を開けて中に入ると、座卓、TV、そしてベランダが目に入ります。ベランダには洗い場付きの露天風呂、左手には洗面とトイレがある広さ32㎡のツインベッドルーム。ベランダにある檜の露天風呂は源泉かけ流し(源泉かけ流しはこの別館のお風呂のみ)、温泉分析表には八幡平温泉 単純硫黄温泉(低張性弱酸性高温泉)、源泉温度69.6℃ ㏗ 4.4と表記されていますが、入浴すると、硫黄の香りは殆どなく、無色無臭のサラサラの感じのお湯で、体の芯から余り温まらない温泉です。外の木々の紅葉はまだ時期が早かったようです。夕食は部屋食で、前沢牛、伊勢海老、あわび、ズワイガニなど豪華食材を用いた特別メニューで、下の写真は最初に座卓に並べられた料理の内容、そしてその後運ばれてきた料理をその下に付け加えています。海から離れたこの高原ホテルで、アワビ、伊勢海老の刺身が食べれるのは感動でしたが、とにかく量が多すぎて、後から運ばれてきた揚物以降の料理には満腹の為、残念ながら手が付けられず、食べ残す羽目に。尚、朝食は大ホールでのバイキングでした。源泉かけ流し温泉を期待して、別館のお部屋に宿泊しましたが、温泉はイマイチの感じで、入浴後に殆ど汗をかかないため、備え付けのバスローブも出番なく...。ただ、ここのスタッフはみんな感じが良く、好感が持てたことを付け加えておきます。((1日目、鉛温泉Ⅱ|横手駅前温泉(東北)ブログ
秋ノ宮温泉郷Ⅱ 稲住温泉(東北)ブログ
芦ノ牧温泉Ⅱ(東北)ブログ
まず本館のエレベーターで2Fへ、(尚、丸峰本館には65室、別館43室、そして離れ山翠6室の全部で114室もある大型ホテルです。)
上図の赤い破線の道順で、夢のかけ橋入口から別館の203号室へ、長い廊下を歩いていきます。203号室の扉を開けると、玄関正面の右手にトイレ、左にはベッドルームと掘りごたつ付きの和室4畳半、合わせて約40㎡広さの和洋室。ベッドの前には液晶テレビ60インチと、和室にも20インチのテレビがあり、そして渓谷を望む景観のテラスに、源泉掛け流し檜の露天風呂付き。露天風呂へは、洗面所からシャワールームを経て、大川渓流と、山の眺めが眼前に広がる絵のような景色。檜風呂は綺麗に清掃され、湯船も広く、かけ流しの源泉は適温に調整され、丁度良い温度で入浴。温泉は無色無臭ですが、少しヌルットする感じ、渓谷を眺めながらの入浴は最高の気分です。湯上り後は汗がとどめなく出てきます。尚、温泉分析表には、源泉温度53.8℃ ㏗7.5、泉質はカルシウム・ナトリウムー硫酸塩・塩化物泉(低張性弱アルカリ性高温泉)と表記。夕食は料亭「翁」の個室に案内され、既にテーブルに並べられた料理と、献立表。既にに並べらえた、先附と蒸物及び止肴(以下、その後に運ばれてきた料理)造り焼肴揚物食事、香の物水菓子味付けもよく、量的にも多すぎず、少なすぎずの丁度良い感じで完食。翌日目を覚まし、部屋付きの露天風呂に向かうと渓谷は雪景色、正に墨絵の世界に遭遇することに。朝食はお食事処「けやき」で窓からは同じく渓谷の雪景色が眺められます。テーブルに並べられた朝食は、全て 朱色の陶器に盛られているのにビックリ、2016年1月に新潟県 六日町温泉 龍言の朝食で、同じ朱色の陶器に盛られた朝食が出され、質問したところ、朱色は元気を出す為の色と、女将さんが特注されていたことを思い出します。朝食も完食し、10時に丸峰 川音 別館をチェックアウト。食事も良く、部屋の広さも問題なく、渓谷を眺めながらの入浴は最高の気分でしたが、部屋の壁が薄いのか、上、左右の部屋から絶えず物音が聞こえ大変気になりました。 (2日目 塩原温泉)塩原温泉(関東)ブログ
玄関から中へ入ると右手にフロント、その奥がロビーとなっています。
ロビーの椅子に座るとウエルカムドリンクが運ばれ、チェックイン手続きを終えると部屋への案内となり、奥のエレベーターで1階まで降りることに(下図の赤い破線に沿って)。エ~、ロビーは建屋の3階に位置していること、エレベーター内に貼付けされた客室案内図(下)で、旅館は4階建てとなっており、部屋数は12室のみとここで説明あり。
エレベーターを降り1階の廊下を進み「阿波」の室へ。(奥に見えるドアーは露天風呂への通用口)入室すると、玄関すぐ左手に洗面所、トイレがあり、右手の入口から部屋へ入ります(白い破線)。
部屋にはL字型のソファーとツインベッドが配置され、部屋の広さは14畳。 窓の外のテラスに丸い樽状の源泉かけ流しの風呂桶が見え、テラスに出ると、すぐ下には箒川(ほうきがわ)のせせらぎが聞こえます。右下に見える建屋は露天風呂かも?。渓谷美を楽しみながら湯浴みが出来るプライベート空間と、宣伝されている部屋付きの半露天風呂ですが、シャワーの付いた洗い場付き、扉と窓を閉めると完全な内湯雰囲気となり、逆に、扉と窓(無双窓)を開けると露天風呂の雰囲気が楽しめます。かけ流しのお湯は無色透明、ちょっとヌルットした感じの気持ちの良い温泉です。源泉名は、塩釜区左岸源泉・親抱の湯混合泉 源泉温度:67℃、㏗:6.8、泉質はナトリウム・カルシウム‐塩化物・硫酸塩・炭酸水素塩泉(低張性・中世・高温泉)と説明されています。一方食事の方ですが、夕朝食とも個室の食事処で、上の師走献立表を基に、以下出てきた順に料理の写真を掲載。先附、前菜お椀、お造り肉物中皿煮物食事水菓子割烹旅館と名付けられていることから、料理の味に期待したが、味付けはイマイチ、特に日光高原牛直火焼は肉が固く、美味しいとは言えない味でした。尚、宿の露天風呂は貸切制となっており、21:00に予約し紅葉の湯へ入浴。翌朝は、大浴場にも入浴。朝食は、昨日の室とは別の個室で朝から盛りだくさんの料理が並べらえています。客室は全て渓流に面しており、部屋付きの半露天風呂は渓谷美を楽しみながら、湯浴みが出来るプライベート空間と宣伝されている通り、かけ流しの温泉をゆっくり楽しめますが、期待していた割烹旅館の料理は、はっきり言って味はイマイチ、しかも料理の量が多すぎ。朝食に豚バラの煮つけが出たのには驚きでした *1あぶくま温泉(東北)ブログ
3日目の朝、湯の花荘を11時にチェックアウト後、塩原温泉ビジターセンターで訪問を推奨された、「竜化の滝」へ、5分ほど国道400号線を進むと「竜化の滝」入口の駐車場に到着。
ビジターセンターでもらった、滝化の滝コース(下図)をもとに出発。駐車場から竜化の滝観瀑台までの行程は0.7キロメートル、所要時間は片道約20分と。約15分ほどで、風挙の滝(ふうきょのたき)に、ここから小川に沿ってさらに5分程登っていくと、3段になった竜化の滝にたどり着きます。滝観瀑台の壁に掲示された下の説明文にあるように、流れは岩盤を天に向かって、力強く昇っていく白竜の姿に似ていることから「竜化の滝」と名つけられたようです。その後、塩原ダム湖のもみじ谷大吊橋を見学して、今日のお宿 ③泊目のあぶくま温泉 スパホテルあぶくまに、チェックイン時間の15時にスパホテルあぶくまに到着。(右端の4階建ての建物は新館)入口玄関より入館すると、正面にシューズロッカーの矢印立札があり、まずは靴を脱ぎロッカーにしまってから、素足でチェックインの受付となります(備え付けのスリッパなし)。フロント前は土産品の陳列棚が置かれているのみで、寛げるロビーもなく、椅子類は皆無。チェックイン手続きを終えると部屋の鍵を渡され、フロントの横壁に貼られたフロアーマップで、部屋番号の位置を確認して、鞄を抱え素足で部屋へ向かいます。部屋番号は上図の赤い□印の113号室(新館C棟の1階)で、フロント前から赤い破線に沿って、本館のA、B棟を通り抜け、C棟(新館)の3階からエレベーターで1階へ(下の写真赤い破線矢印順)、1階の廊下を少し進むと、113号室前にたどり着きます。部屋に入ると、清潔感のある雰囲気で、応接セットが付いたツインベッドルーム(32㎡)で、予約していた源泉かけ流し檜露天風呂付きのお部屋です。窓の外の右のすだれは、部屋付きの露天風呂、庭の向こうにあぶくま川見えます。部屋には必要なものは殆どそろっている感じで、那須温泉(関東)ブログ
4日目になりました。今日は那須御用邸近くの那須温泉 旅館山楽に宿泊です。尚、那須御用邸の着工のきっかけは、昭和天皇が、1923年(大正12年)に那須一帯を訪れられた際、新那須温泉にある旅館山楽から眺めた那須野が原と、那須連山の景色を気に入られ、その意向を汲んで“那須御用邸”が建てられたようです。御用邸を一目見ようと、近くまで行ってみましたが、建物等は一切見えず、”関係者以外の進入はご遠慮願います”、の立て札のある御用邸進入路?、らしきところまでしか探索できませんでした(下の写真)。
その後、すぐ北側に位置する旅館 山楽に向かい、前の駐車場に車を駐め、玄関から入館。玄関扉の内側に敷かれた、山楽の文字が入った赤いカーペットが印象的です。 名前を伝えると、フロント前を通り過ぎて、奥の階段を上がったラウンジに案内され、ラウンジの椅子に座ると、ウエルカム・ドリンクの提供を受け、同時にチェックイン手続きを進めます。手続きが終わって暫くすると、案内担当スタッフが現れ西館の114号室へ、部屋に入ってすぐ左手に、化粧台、冷蔵庫置き場(上にポット、湯呑セットなど)があり、下の間取図 赤い破線の矢印に進むと、庭園露天風呂付和モダン客室に、広さ44㎡のツインタイプの洋室。部屋の窓から広い庭が眺められ、手前には露天風呂と足湯が見えます。露天風呂へは、トイレ前の洗面所からシャワールームを抜け、庭園に設置された源泉かけ流し露天風呂へ、浴槽の壁には、”茶臼岳の麓に67℃で自然噴出した源泉を約6㎞引湯、那須御用邸で使用の源泉と同じ泉質で、無色透明・無味無臭の中性の単純温泉(㏗7.4)、柔らかで刺激が少なく肌に優しい温泉”と説明されており、天皇陛下と同じ泉質の温泉に浸かれて感無量の思いです。尚、夜には浴槽内にLEDのアクワライトが点灯し、幻想的な雰囲気にもなります。さらに、山楽の最大の魅力は源泉かけ流しの大浴場があり、入口は男女別(写真下)、日替わりで男女交代制。ただ浴場は撮影禁止となっており、撮影できなかったことが残念ですが、山楽ホームページの写真を引用して下に掲載。特に自然と一体化した野趣あふれる露天風呂は、いつまでも浸かっていたい気分となる素晴らしい温泉です。 夕朝食は、東館の個室お食事処料理茶屋「山翠亭」にて個室に入ると、テーブルには前菜と献立表が置かれ、前菜以下出てきた順番に写真を掲載しています。吸物刺身蒸し物焼物台の物食事水菓子(写真無し)味付けもよく、ちょうど適量で美味しく完食。翌日の朝食は同じ個室で、和食、洋食の選択が可能なため、洋食を選びましたが、味はイマイチ、和食を選ぶべきだったと反省しています。初めて那須温泉 旅館山楽を訪れましたが、温泉の泉質も良く、特に野趣あふれる広い露天風呂は、自然と一体化して、いつまでも浸かっていたい気持ちにさせてくれる素晴らしい温泉です。また機会を見つけ、露天風呂に浸かりながら紅葉見学できる時期に是非再訪問したいところです。10時半にチェックアウトし、約3時間のドライブで仙台空港に戻り、15時35分発の飛行機で伊丹空港に無事帰ってきました。(3日目、あぶくま温泉|田沢湖高原温泉(東北)ブログ
八幡平から鳴子峡までの紅葉スポットと、その近くの温泉を巡る旅、4泊5日(10月25~29日)を計画し、⓪地点の花巻空港からレンタカーで下図の青いルートに沿って、①田沢湖高原温泉、②大沢温泉、③須川温泉及び④鳴子温泉を巡りました。尚、赤字の箇所は立ち寄りスポットです。
10時25分大阪伊丹発‐いわて花巻行の便に、バスで飛行機の駐機場へ移動して搭乗。定刻の11時45分いわて花巻空港に到着。今回お世話になるレンタカーは日産ノートです。早速、東北自動車道を北上、西根ICを下り県道23号線で八幡平へ、大沢温泉(東北)ブログ
朝の6時です、3階の部屋の窓のカーテンを開けると、紅葉の上に朝靄が立ち込めています。
7時に2階のレストラン「こまくさ」へ、朝靄が晴れ紅葉が綺麗に見えます。
須川温泉(東北)ブログ
3日目の朝、晴れ模様です。今日は下図②~③地点の須川温泉へ移動します。②地点の大沢温泉・山水閣を9時30分にチェックアウト。一昨日花巻空港到着時、レンタカー・カウンター前に大きな写真で、紅葉スポットとして宣伝されていた西和賀町に立ち寄ってみました。
北上線・ほっとゆだ駅前の西和賀町観光協会で、紅葉見学スポットを訊ね、推奨された焼地台公園に向かいましたが、
紅葉は未だ時期尚早のようでした。その後1時間半のドライブで子安峡に到着、見晴らしの良い川原湯橋に。
川原湯橋南側の紅葉状況川原湯橋北側の紅葉状況子安峡は皆瀬川の急流が、長い年月をかけて両岸を浸食し形成された渓谷で、高さ60mの橋から南北の紅葉を鑑賞後真下を見ると、歩道を散策する人々や、あちこちから真っ白な湯けむりが湧き上っている光景が。散策の人々は「大噴湯」見学用の遊歩道を歩いていることが分かり、我々も大噴湯の入口へ、川原まで下り、遊歩道を歩いて行きます。目の前に左右から大噴湯の蒸気が立ち込め、近くによると断崖の裂け目から熱湯が噴き出しているではありませんか!!!これらの大噴湯は江戸時代から続いていることに驚きです。 子安峡で1時間半ほどの滞在後、下図の現在地から青いルート(約19km)に沿って今日のお宿栗駒山荘へ、泉質は栗駒山荘と全く同じということでしたが、どちらかといえば須川高原温泉は、大型の公共湯治宿的な雰囲気です。チェックインの時間となったので、冬季閉館間近の栗駒山荘へ、
栗駒山荘玄関前フロント&ロビーから廊下チェックイン後、フロントで部屋のカギと、全館案内図(下)をもらって移動します。 フロント、ロビーのある3階からエレベーターを使い、2階の206号室(和室10畳)へ、部屋に入ってビックリ、一枚ガラスの大きな窓から絶景が...シンプルな調度品が山荘の雰囲気とマッチして居心地の良い感じです。ただ自家発電の為、部屋にエアコンや冷蔵庫の設置はありません。(夏は暑いかもです?)早速浴衣に着替え3階フロント横の温泉入口へ、ここで感心させられたスリッパ置き場ですが、宿泊者の部屋の名前が書かれた専用棚が設けられています。宿泊者専用スリッパ置き場温泉ですが、内湯は全面ガラス張り、すぐ前に有名な露天風呂があり、内湯からでも十分眺望が楽しめますが、すぐに露天風呂へ、