熟年夫婦の温泉旅日記

源泉掛け流しを求めて…。熟年夫婦が全国の温泉を旅して歩いた記憶を辿ります。本ブログ記事には広告が掲載されておりますがご了承下さいな。

川湯温泉ブログ


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2日目の朝、神湯荘をチェックアウト後、熊野那智大社に来ています。境内から那智の滝が眺められます。那智大社には470段の階段を上らず、車で通行料800円を支払い下図の防火道路(□印)を経由して青岸渡寺駐車場(P)へ、車を留め那智大社へ歩いて行くと、同じ境内の中にあるかと思うほどお寺と神社が隣接している不思議なところです。
ところが那智大社の拝殿は、残念ながら建築工事用養生シートで覆われ来年3月まで改修工事中。
お参りのため養生シートの中に入ると熊野那智大社の御案内板があり、八咫烏(ヤタガラス)、神武天皇熊野権現イザナミノミコトを主神とし十二柱の神々をお祀りなど、熊野三山特有の表示が見られます。続いて那智大社の別宮、飛瀧神社へ移動。傍で見る落差133mの滝はさすがに素晴らしく自然信仰の起こりがうなずけます。龍神社前の食堂で昼食を済ませ、13時半に予約済みの「新宮」案内ボランティア・ガイドと速玉大社で待ち合わせ、熊野権現が最初に降臨されたと言われている神倉神社へ、何と538段の急な階段が始まる鳥居前に。何とか15分で頂上の鳥居前に到着。この鳥居を入ると巨大な一枚岩、その上に熊野権現が降臨されたと言われるしめ縄で巻かれた巨石 ゴトビキ(方言でヒキガエルのこと)岩と小さな社殿があり、社殿にお参り後振り返ると新宮市の街と海が眺められます。尚、毎年2月6日に行われる「お燈祭り」には、白装束に荒縄を締めた約2000人の「上り子(のぼりこ)」と呼ばれる男子が御神火を移した松明を持ち、山頂の鳥居から下の鳥居まで538段の急峻な石段を1分半で駆け下りるようです。  速玉大社に戻り入口前でガイドから、まだ社殿がない自然信仰時代の神倉山から、初めて真新しい社殿を麓に建てて神々を祀ったことから、速玉大社は神倉神社の旧宮に対して「新宮」と呼ばれていると説明を受け、さらに大社入口に表示されている「熊野権現」について、権現とは日本の神々を仏・菩薩が衆生を済度するために仮に現れた姿であると考え、熊野権現イザナギ薬師如来)、イザナミ(千手観音)、スサノオノ(阿弥陀如来)、の三神で神仏習合となっていると...。大鳥居をくぐり参道を進んでいくと、神武天皇を大和の地まで道案内をしたとされる八咫烏神社(右)があり、さらに進むと樹齢千年の梛の大樹に、その葉っぱの葉脈が独特で、主脈がなく縦方向にのみ平行に伸びており、縦方向に引っ張っても簡単には切れないことから、縁結びの願掛け・お守りにされているようです。そして参道の正面に巨大なしめ縄がかかる神門、その後ろの幕には梛の木の葉と、3本の足を持つ八咫烏が描かれています。そして、この八咫烏日本サッカー協会のシンボルマークとなった背景に、サッカーを始めて日本に紹介し、その普及に貢献した中村覚之助氏の出身が那智勝浦町であることに関係しているようです。神門から中へ入ると、左手の拝殿とその奥に御祭神のイザナギイザナミを主神に十二柱の神々が祀らている社殿が連なっています。 熊野は過去、現在、未来を救済する霊場(人生蘇りの地)として広く人々に受け入れられてきており、熊野三山那智、速玉及び本宮大社)にお参りすることで、過去を浄化し、現世利益を得ることができ、未来(極楽浄土)も約束されると言われているが、ガイドの方から神倉神社にお参りするのみでこれら全てのご利益が得られたとの説明を最後に受けました。15時半に速玉大社を後に、今日のお宿 川湯温泉 富士屋ホテルへ、富士屋ホテルの建屋(5階建て)と玄関フロント&ロビーフロントでチェックイン後、案内された部屋は東館2階の□印の「なでしこ」に(下図)、2階エレベーターを下り、奥へ3つ目の部屋。入室すると川に面した12畳の和室。毎年12~2月末までは、この前に流れる大塔川(川底を掘ればお湯が沸く)をせき止めた大露天風呂の仙人風呂が登場するのですが、今はその時期ではなく、富士屋ホテル特設の川原温泉へ、