Engineer working in Japan

源泉掛け流しを求めて…。熟年夫婦が全国の温泉を旅して歩いた記憶を辿ります。本ブログ記事には広告が掲載されておりますがご了承下さいな。

蔵王温泉ブログ


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2日目の朝、もう一度大湯で朝風呂入浴後、昨日の夕食と同じ個室で朝食を終え、

予約していた青根御殿見学ツアー(女将の案内)参加のため、8時50分フロント前に集合。旧湯治部の二階から階段廊下で繋がった青根御殿へ、伊達家殿様の座敷は二階にあり、青根御殿3青根御殿

そこには鎧兜や、狩りをされた時の弁当箱が展示され、殿様が滞在された右隣の上段の間には伊達家に関わる骨董品や書画が展示されています。

青根御殿2青根御殿1

 

  青根御殿
伊達家殿様滞在の青根御殿2階上段の間又この上段の間から天気が良く空気が澄んでおれば、正面に仙台や松島の海まで伊達家の領土が見渡され、この眺望にたいそうご満悦だったようで、御殿は意外に高台に位置していることが分かります。青根御殿4上段の間正面からの眺望尚、青根御殿は焼失後昭和7年に再建され、一時期は宿泊所にも使われていたようで、著名人の芥川龍之介与謝野晶子などの滞在を始め、「もみの木は残った」の著者 山本周五郎はこの御殿の一室から眺めながら執筆したといわれている「もみの木」が左手の窓から見えていますとの説明を最後に、約10分程の見学ツアーは終わりました。青根御殿5左手の窓からもみの木(〇印)急いで部屋に戻りチェックアウト後、11時に予約の最上川三難所舟下り乗船のため村山市の船着き場へ、三難所9286号線を快調に飛ばし山形市近くになった途端、急に濃霧に覆われ村山市に着いても一向に晴れる気配がなく、三難所乗船場に時間通り着いたのは良いのですが、最上川の対岸が見えないほどの濃霧のため、仕方なく乗船を諦め②泊目のお宿 蔵王温泉 和歌の宿 わかまつやに向かうことに。蔵王温泉の手前約10kmの所ですが、ここまで来ると濃霧が嘘のように晴れ渡り、雪化粧の蔵王山が綺麗に見えてきます。わかまつや2雪景色の蔵王山10分程で、14時30分今日のお宿に到着(幸いなことにこの旅館のチェックインタイムは14時から可能)。わかまつや3わかまつやの4階建ての建物と玄関フロント前のロビーでウエルカムドリンクを飲みながらチェックインを済ませ、わかまつや9フロント&ロビー案内された部屋はエレベーターで3階へ上り、エレベーターから2室目の、わかまつや183階の廊下下図〇印の311号室に入室。わかまつや12-1部屋の配置図部屋は大きな窓付きの2ベッドルームの和洋室で、わかまつや11和洋室(311号室)窓から晴れ渡った蔵王連峰を一望できます。2年ほど前蔵王国際ホテルに滞在し、ゴンドラ「山頂線」で地蔵山頂駅まで上がり、樹氷の世界を体験したことを思い出します。わかまつや10部屋の窓からの眺望風呂場は地下2階に位置しており、浴衣に着替えエレベータで降りると、木の看板に若松屋温泉 長右衛門の湯と書かれた入り口がある扉を開けると(長右衛門はここの社長の名前?)、わかまつや33ホールでの展示品ホールがあり、郷土の歌聖・斎藤茂吉ゆかりの宿として茂吉直筆の作品の他、和歌にまつわる様々な品々が展示され、さらに風呂場に繋がる『湯小路ぎゃるりぃ』と呼ばれた渡り廊下には宿泊者が詠まれた沢山の和歌も展示されています。わかまつや36-1渡り廊下『湯小路ぎゃるりぃ』渡り廊下奥の風呂場入口の扉には「温泉旅館番付表」なるものが貼り付けれれており、温泉教授 松田忠徳作の独断と偏見の選び方に異論ありと思いながら扉を開けると、わかまつや33温泉旅館番付表今度は壁一杯の短冊の中に「山形県温泉年表」が、山形県内で最も古い歴史を持つのが蔵王温泉とのことですが、入浴前にいろいろな比較表を見せられ新たな温泉チャレンジにファイトを覚えます。わかまつや34わかまつや35山形県温泉年表脱衣場に入ると、お客様へとして”強酸性の硫黄泉”の注意書きが、わかまつや44脱衣場確かに内湯の洗い場前には鏡が一枚もありません。わかまつや41内湯温泉はもちろん源泉掛け流し、内湯の写真では湯の花が確認出来ませんが、露天風呂へ行くと表面に一杯浮いているのが見られます。わかまつや42