【熟年夫婦】別所温泉 玉屋旅館
この4月に、全国でも有数の桜の名所「高遠城址公園の3千本桜」のお花見を計画しましたが、高遠の宿泊先はどこも満員の為、近くの温泉宿、①の別所温泉(1泊目)と、飯田城温泉(2泊目)②に宿泊し、往きと復りのどちらかのチャンスに高遠へ立ち寄ることが出来ればと思い、4月19日~21日、2泊3日のドライブ旅行となりました。ところが、今年は桜の開花が意外に早く、高遠の桜は13日に満開を迎えたようで、出発の19日は散り終わりのいやな予感があり...、しかも今日は、朝から雨のため、高遠への立ち寄りを諦め、西宮ICから名神高速、中央道を経て、岡谷ICより国道142号線(下図)で、高遠よりもさらに北に位置する上田城跡公園(上田城千本さくら祭り最終日)に直行。
西宮ICより、約5時間半で到着。事前予約の城跡コースガイド白井さんの配慮で、直近の観光駐車場に車を置くことができ、下の写真の地点からスタートです。上田城跡公園図上図ガイドコースに沿ってけやき並木を進んでいきます。元々ここはお堀の底。一時期は電車が走っていたようで、二の丸橋トンネルの手前右に見えるのが駅跡、さくらの花(右手)もまだ少しは残っています。二の丸橋を渡り城跡公園に入ります。城跡公園案内図の前で、以下の説明を受けました。上田城は、1583(天正11)年、真田幸村の父昌幸が築城し、2度にわたる徳川の大軍を退けた城として知られている。左の上田城付近絵図に、二重の堀が巡らされていた様うに描かれているが、これらは湿地帯であったとのこと。幸村という名前は本人の死後に付けられた名前で、当時は信繁と呼ばれており、父親の昌幸と 長男の信之を合わせ3人の知恵者と言われていたようです。ただ、関ヶ原の合戦で、石田方についた父昌幸と次男の信繁、徳川方についた長男信之と別れて戦うこととなったが、石田方の敗北に終わり、昌幸と信繁は、高野山(和歌山県)に幽閉されることになったようです。その後も信繁の活躍は続くそうですが...その後の話は、来年のNHK大河ドラマを楽しみにという事に!東虎口櫓門前にやって来ました、南櫓と東虎口櫓門(昭和17~18年に復元)肝心の北櫓前のシダレザクラですが残念ながら、ほぼ散り終わり、今年は満開時期が4月6日だったそうで、去年に比べ一週間ほど早かったようです。門を入ると正面が真田神社、境内には既に散ったさくらの花びらでいっぱい。神社の横に、大阪夏の陣で真田軍ががぶったとされる、巨大な六文銭赤備え兜が!神社の裏手には、御殿から千曲川や山の方へ、逃げる抜け道に使われていたとされる井戸。ここから階段を上がって西櫓へ、西櫓元々、城内に櫓は7棟存在していたようですが、6棟は民間に払い下げられたそうで、西櫓1棟のみが、江戸時代初期に建てられたままの城郭建築で、大変貴重な建物だそうです。また、この場所が一番の高台となっており、ここから本丸跡やお掘り付近のサクラに、まだ少し花が残っている状況が見られました。ここからスタート地点に戻り、約1時間のガイドが終了。時刻も15時を過ぎたので、今日のお宿、別所温泉 玉屋旅館へ、約20分のドライブで到着。玉屋旅館玄関フロント&ロビー案内された部屋は、眺望の良い4階和室10畳。2015年3月リニューアルされているので非常に綺麗です。早速浴衣に着替え風呂場へ、ここには淡雪及び明月の2つの浴場があり、午後8で男女入れ替え制となっています。淡雪の内湯と露天風呂明月の内湯と露天風呂いずれも加水なし、源泉かけ流しの、低張性弱アルカリ性低温泉(別名:単純弱放射能温泉)で、源泉温度は50.9度、Ph? 少しとろりとした単純硫黄温泉と説明あり。確かに、硫黄の匂いがする快適な温泉で、当日と翌朝3回の入浴をしてしまいました。食事は、個室の食事処で、豪華な夕食並びに朝食を頂き満足でした。