熟年夫婦の温泉旅日記

源泉掛け流しを求めて…。熟年夫婦が全国の温泉を旅して歩いた記憶を辿ります。本ブログ記事には広告が掲載されておりますがご了承下さいな。

はぎ温泉(山陰)ブログ


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二日目の今日は、②地点のはぎ温泉に宿泊ですが、その途中で石見銀山、ホルンフェルス断層に立ち寄ってみる予定です。

石見銀山では龍源寺間歩ワンコインガイド(10時30分スタート)を予約していた為、8時半に海潮荘を出発しました。
10時20分石見銀山公園駐車場に到着し、駐車場前にある建屋の銀山ガイド案内所で1000円(2人分)を支払い、入手した「石見銀山みて歩き地図」には銀山地区と町並み地区が分けられてあり、ガイドは下図銀山地区のⒷ~Ⓒ、龍源寺間歩まで遊歩道2.3kmを往復します。尚、間歩とは、「銀鉱石を採掘するための坑道」のことだそうです。Ⓑ~Ⓒ拡大図スタート時点で、正面の山頂に山吹城があったと説明を受け、遊歩道沿いに見られる間歩(奥に見える洞穴状のもの)の説明から始まります。説明に熱心なガイドの石見銀二さん。現在800以上もの間歩が発見されているそうですが、見学できるのは龍源寺間歩のみとのことです。又、銀山地区には数多くの神社や寺が残っていることに驚かされます。最盛期には100を超えていたと説明がありましたが、銀山で働く労働者の平均寿命が30歳以下で、30歳になると長寿の祝いがなされていたと聞き、相当過酷な職場環境の為、労働の安全を祈願し、死後の平安を祈った場所が多数必要であったことが頷けます。約1時間の徒歩で、龍源寺間歩に到着。  間歩入口 入口管理棟  受付でもらったパンフレットです。間歩(坑道内)のことが詳しく載っています。ブログIMG_20160625_0002又、世界遺産登録の背景なども掲載されています。ブログIMG_20160625_0001間歩の出口付近で展示されていた「石見銀山絵巻」の一部ですが、「堀子は鑽を鋏で固定し、鎚でたたき鉱石を掘る。暗闇・油煙・石塵の中でたいへんな労働であった」と説明されていますが、特にガイドから暗闇で明かりを灯す蝋燭の油煙が短命の最大原因だったと聞かされ、何とも言えない切なさを感じました。 その後、公園駐車場Ⓑに戻り、江戸時代にタイムスリップするといわれている町並み地区を覗きに。三軒長屋最後に世界遺産登録の「石見銀山遺跡とその文化的背景」の内容が今一つ理解できないので、時間の制約もある中で、世界遺産センターにも立ち寄ってみました。しかし館内は間歩の説明展示物が中心で、且つ撮影が禁止されていたこともあり、後ほど石見銀山(遺跡)とはのウエブサイトを調べ、石見銀山遺跡の範囲(世界遺産に登録された資産)が下図にまとめられていましたので掲載します。石見銀山遺跡とその文化的背景」には、銀鉱山跡と鉱山町、銀や銀鉱石を積み出した港と港町、そして輸送に使われた街道までの3つの分野が含まれていることが分かりました。今回は、調査不足により、街道や港町(特に温泉津温泉)など遺産と気付かず通り過ぎたことを悔やんでいます。  結局、世界遺産センターを14時に出発し、今日のお宿、②はぎ温泉萩小町に急ぎました(約150kmのドライブ)。萩まで30km手前の国道191号線上でホルンフェルスの看板を見つけ、305号線を4km北上して立ち寄ってみることにしましたが、残念ながら雨の為期待した景色も今一つ、断崖が見える海岸べりまで、傘をさして歩いていきましたが、雨で地盤が濡れているため、滑って下までは降りれない状況でした。  

30分程の寄り道になりましたが、17時10分海岸べりに建つはぎ温泉萩小町に到着。

  玄関フロント&ロビー予約済みの、半露天風呂付ツインベッド1階の部屋に案内され、
 部屋には大きな画面のテレビ(40インチ)が設置、そして半露天風呂にはマッサージチェアーも...案内係から、大浴場と露天風呂は離れた場所にあることを聞き、先ずは露天風呂から、「夕日の湯」の名前でしたが、この日は雨で何も見えず、温泉も無色透明のさしたる特徴もないサラットしたお湯で、少し消毒剤の匂いが、おそらく加温循環式なのでしょう、説明書にはカルシウム・ナトリウムー塩化物冷鉱泉、源泉温度は18.2℃、Ph7.56と表記。続いて、当館ご自慢の大浴場、天然大岩風呂へ、お湯は露天風呂と同じ成分の湯が使われています。天然大岩風呂食事の方ですが、夕食、朝食共食事処(広間)で、夕食には基本会席料理(地魚の刺身、ノドグロ煮つけ、アワビの踊り焼き、牛肉のしゃぶしゃぶなど)を食しました。